さかの道

さかが駄文を書き連ねるようですよ。

眼鏡

この頃世間の風潮が勉学に傾いている気がする。もう少し厳密に言うならば、自分の周りが、である。学生の本分とはすなわち勉強である、と決めたのは一体何処のどいつだ、と母に洩らしたところ、「私が決めた」とのことだった。案外伏兵は身近なところに潜んでいる。

 

勿論私とて勉強をしていないことはない。ただ、やりたくないのである。私はやりたくないことをやるのが大嫌いなのだ。つまり勉強が嫌いなのである。

 

さて、テキストブックの類を投げ捨てたは良いものの、今度は目の前に立ちはだかる実技の課題にぶつかる。実技は嫌いではない。ただ、物事には限度というものがある。ありていに言えば、たくさんあるのだ。課題がたくさんあるのだ。「えい、成績などくそくらえだ!」私は走り出した。

 

走り疲れ、私は歩きながら物思いに耽っていた。「そういえば、走るのだって体育の単元ではないか」「いやいやこうして思考するのさえガクジュツテキシコウの始まり」「まったく全てが勉学のことに思えてきたぞ」はてさて、所謂ノイローゼである。数字を見れば通知表、文字を見れば教科書、どうにも逃げ場がない。「かくなる上は」私は懐からコンパスを取り出し、それを自らの両目に突き刺さんとした。

 

ぐさり

 

私が聞いたのはそんな効果音ではなかった。もっと固い、カキィンという音。そう、コンパスと眼鏡のぶつかった音だ。私は常に眼鏡をかけている。お陰で危うく失明の憂き目にあうのを免れたのである。

「駄目ではないか、もっと自らを大切にしなくては」

私にはそんな眼鏡氏の声が聞こえた。「ありがとう」もうすっかり正気に戻った。早く家に帰らねば。

 

さて家に着いたは良いが、勉強はどうにもしたくない。ならばと私は読書をする。我が両眼の守護神がいればこそ、読書もできようものだ。