さかの道

さかが駄文を書き連ねるようですよ。

人形

小さい頃、服屋が嫌いだった。服屋に行けばマネキンが居るからだ。プラスチックの白い肌。遠くを見つめる虚ろな眼。人間でないことは明らかに分かるのに、それでいて奇妙に人間と酷似したそれが、幼年時代の私には恐怖そのものとして映ったのである。



人間に似た人間以外のものは怖い。例えば人間型のロボット。人間に似せようとすればするほど、人間の目にはそれが不気味に見えるという、所謂「不気味の谷」。例えば小さな人形。日本人形やフランス人形は昔から怪談話で良く取り上げられるものだ。全く未知なる物は当然怖いが、既知である筈の物に存在する小さな異常も、えてして人を不安にさせる。



マネキンをずっと見続けていたら、ひょっとしたら動くのではないか。そんな考えに小さな私は取り付かれ、恐る恐るマネキンを見つめる。マネキンは当然動かない。いくら見つめていてもマネキンは眉一つ動かさないのだ。親の姿を見失い、私が半泣きになりつつマネキンの傍を離れても、マネキンは当然動かない。動く筈が無い。



今はマネキンは怖くないし、服屋は嫌いだが、それでもマネキンのそばを通ると、その存在感、生命を感じてしまう事がある。触れたら温かみがあるかも知れない。そう思ってそっと触れてみても、当然プラスチックの肌は冷たい。そして、マネキンを撫で回す私を見つめる周りの目線は、当然プラスチックより冷たいのだ。